2018 11,09 12:48 |
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こんにちは。 鈴鹿市にありますカイロプラクティックとタイ式マッサージお店・なごみや の、店長きりです。 スタート地点の東大手門はいわゆる二条城の正門です。 鉄板ネタ「この門のどこかに鳥が隠れています」。 知ってます!こないだテレビで紹介されていました。 テレビでは下の方を見ていた気がしますが…。 なんて言いながらも店長は見つけられませんでしたが、ご夫婦のご主人が一番に見つけられました。 「おー、すごい!」と残りの3人は思わず拍手です。 門をくぐって入城し、団体さんの間を抜けながら要所要所で説明が入ります。 「と、一般には言われておりますが実際は…」ということがたくさんあって、しかも理にかなっていて、ナルホド、がいっぱいです。 一番のナルホドは、そうか、だから鴬張りの廊下がこんなに鳴るのか、でした。 最近の出来事では台風21号の爪痕も随所に残っていて、あー、梅芸で夢の世界にいる間にここではこんなことが起こっていたのね。 台風の被害を受けたことでの新発見もあったそうですが、でも修復も大変そうでした。 二の丸御殿を見学し、庭園を散策し、天守閣跡に登り、いよいよガイドツアー限定のスポットへ。 十五代将軍・慶喜が大政奉還後、薩摩藩らによる政変を受け、衝突を避けるために大阪城へ退去する際に通ったと言われる西門です。 当時は通用門として使用されていましたが、現在はお堀を渡る橋もない為出入りはできないそうです。 そして、この門にはなんと! 落書きが! しかも犯人はおそらく門番。 名前やら住所やら日付やらイラスト(?)やらが削ってあります。 これ、嵯峨野の竹林で竹にされて問題になってる落書きと一緒やん。 っていうより、本格的な刃物で深く削ってある分タチ悪いやん。 二条城は初代将軍・家康による指示で建てられました。 三代将軍家光までは上洛して入城していますがその後、幕末の十四代将軍・家茂公が公武合体を朝廷に働きかけるために上洛し入城するまでの約230年間、将軍が入城することはありませんでした。 そして、その頃には徳川幕府の威光はかなり衰えてきています。 新選組結成も、元は、この家茂公上洛の警護のためにという名目で募集された浪士隊がきっかけになっています。 将軍警護を浪士が、しかも実際は農民や犯罪者でもOKだったというところにも衰えが現れています(ただ、そのおかげで、身分の上では農民だった近藤先生や土方さんが歴史の表舞台に立てましたが…)。 幕府に派遣された門番による、幕府の持ち物である二条城の門への落書きも、この威光の衰えの表れかもしれません。 なんてことを思いながら、徳川幕府の始まりから終わりまでを見学してきました。 この時点でけっこう足が疲れているのですが、もう一ヵ所行きたいところがありますので、歩きます。 ~つづきます。 なごみやは、こんな店長が営業しています♪ ☆カイロプラクティックとタイ式マッサージのお店 なごみや http://nagomiya.ehoh.net/ PR |
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